不定期日記
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法や規則が人の為にあるのか、法や規則の為に人がいるのか、と聞かれたらそれは当然人の為に法がある。まあ勿論国によっては統治者の為に存在する場合もあるだろうけれど、民主主義の国では主権者も国民だからほぼ確実に人の為に法や規則が存在する。だからといって一人二人の為に法や規則を捻じ曲げたり超法規的措置を取ったり特例を認めたりしてしまってはいけない。法や規則というのは守られて初めて意味を持つ。簡単に特例的措置が可能になってしまったらどうなるか。法に権威がなくなり守られなくなる。そうなっては法や規則など形骸化し意味を喪失する。こうなっては法や規則が用を成さなくなってしまう。
まあなんでこんな話をしたかというと、最初の質問をニュースキャスターらしき人が口にしているのを見たからだ。簡単に法や規則を曲げてしまえ、というのはあまりにも軽率で安易な考えだ。法治国家の大前提を崩してしまっては国そのものが成り立たなくなる。それをニュースキャスターが平気で言ってしまえばそれを鵜呑みにする者が現れる可能性がある。もう少し発言には慎重になってもらいたいが、一般庶民のためっぽい発言をしていればよく思われるのが世の常だ。人気取り・数字取りが全てのテレビにはこういうことは言わざるを得ないことなのかもしれない。となるとマスコミを責めるのもおかしいのかもしれないと思わざるを得ない。メディアに競争がないというのもそれはそれで問題だし、この辺の問題も難しい話だ。結局は熟慮熟考すべきであって安易に答えを求めてはいけない、ということか。ちなみにメディアを全て国家権力が持つとどうなるかというと、政府の意向で情報操作するのが当たり前になる。中国では当たり前だったらしく、日本に「情報操作よろ」と言ったところ「マスコミ抑えるとか無理ぽ」という受け答えがあったとかないとか。今じゃ多少党の影響をあまり受けないメディアもあるようだけど。 PR ![]() ![]() |
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座右の銘は「楽して楽しく」
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