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 今日は実は昼発表準備やらず遊んでたんだけど、なんとかなりそうだ。明日大学行くまでに色々やればそれで十分そうだ。まあだからってまともな発表になるかどうかは別問題だけど。昨日の夜は寝れず遅くまであれやこれやとしてしまっていた。まあ空が白むまで遊んでたって意味だけど。

 通り魔的な犯罪を起こさせないためにああしろこうしろって話を聞いて思うんだけど、周りの人間が注視するとか、支えるとかってのは小手先の対応にすぎないし、あまりのも理想論すぎて現実的ではないかもしれない。秋葉原で起こった事件も、周りの人間という存在自体がいないって孤独感が犯罪の引き金になってるみたいだから、注視する人がいない。それに注視もいきすぎれば監視でありプライバシーの侵害になってしまう。それに周りの人間に目を配れるほどの余裕がある人がどれだけいるだろう。そう考えるとやはり高すぎる理想には届かないんじゃないかなぁ。犯罪予告のスレもテレビで少し見た限りではレスが殆どないみたいだったし。そもそもやっぱり孤独感を感じる、それによって自暴自棄になる、そういったことを防ぐ施策を考えるべきじゃないか。教育などで精神的な強さを得られたり、コミュニケーション力を高めたり、客観的な視点で物事を考える力を養うってことに力をいれるべきかもしれない。これに関しては知識だけを詰め込むような授業よりは重要だと思う。要は孤独に耐えうる精神力と周りから嫌われないコミュニケーション力そして迫害みたいなことをしない社会性を子供のうちから身につけさせることが必要だと思うってことだ。犯罪を犯す側の精神を補完するだけではなくて、凶行に走る気が起こらない社会を形成するべきなんじゃないかな。
 迫害といえばアニメ・漫画・ゲームのユーザーへの風当たりが厳しくなってる。多分MSG4だろうと思うんだけど、戦争をゲームにして楽しむなんてけしからん的な読者投稿が新聞であった。敵の人権や人生を考えず撃ち殺すのは命の重みをうんぬんって書いてあったけれど、これは反対のこともいえる。逆に殺されることだってある。それがその命の重みを学ばせることになるかもしれない。詭弁だと思う人、ゲーム中で殺したりすことが生命軽視につながるっていう意見と同じ程度に論拠ののないことであると認める。専門家じゃないしね。まあ私も今までゲーム上で何十万という人と何千の蟲やインベーダーを殺してきたわけだが、別段異常なことはないはずだ。まあ普通ではないかもしれないけど。でも、命の重みくらい・・・と思ったけど、よく考えたら命の重みっていう意味がわからない。抽象的なものに重さがあるわけないじゃない。ていうか命の重みってもの自体存在の証明がなされていないし、重要であるという証明もない。まあ人を殺せば法に触れるってことくらいを知ってれば十分じゃないか。ゲームでも殺すことが目的じゃなくてスリルと達成感なわけだし。そもそも敵が人だとだめで、インベーダー(ここではなつかしのあのゲームだ)なら殺してもいいてのは正しいのだろうか。
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座右の銘は「楽して楽しく」
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